プラザ合意の概要
- 1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで開催されたG5(米国、日本、西ドイツ、フランス、英国)会合で成立。
- 目的:過度なドル高を是正し、米国の貿易赤字縮小を図るため、協調介入を行うことで合意。
合意の背景
- 米国の巨額貿易赤字:ドル高によって輸出が不振に。
- 保護主義圧力の高まり:米国内で関税強化や規制強化の声が強まっていた。
- 日本の台頭:輸出競争力が急伸し、米国との貿易不均衡が顕著化。
合意の内容
- 協調介入:各国がドル売り・自国通貨買いを実施し、ドル安・円高を誘導。
- 政策協調:
- 米国は財政赤字削減
- 日本・西ドイツは内需拡大
- 他の主要国も政策調整を行うことで合意。
合意後の影響
- 急激な円高:1ドル=240円台 → 半年後180円台、1986年には150円台。
- 円高不況と金融緩和:急速な円高で輸出企業が打撃 → 日本銀行が大幅金融緩和。
- バブル経済:低金利と公共投資により株価・地価が急騰、後のバブル崩壊へ。
- 産業構造の変化:企業が海外移転を加速 → 国内産業の空洞化。
その後の展開
- ルーブル合意(1987年):過度なドル安を防ぐための協調合意。しかし各国の足並みが乱れ、同年「ブラックマンデー」へ。
- 「第2のプラザ合意」論:その後もドル高是正の必要性が議論されるが、新興国台頭・市場規模の拡大で再現は困難。
その他の影響と教訓
- 貿易不均衡是正:一時的に日本の対米黒字縮小に寄与。
- 政策協調の限界:国際協調は維持困難で、副作用(円高不況・バブル膨張)を招いた。
- 現代への示唆:
- 市場介入は副作用が大きい
- 金融緩和は長期的な資産バブルリスクを伴う
- 国際協調は必要だが合意の持続は難しい。
✅ 補足点:
- プラザ合意後の日本の金融緩和が「失われた30年」につながる構造的要因のひとつとされる。
- 米国はドル安を通じて一時的に赤字縮小したが、根本的な構造改革にはつながらなかった。
- G7(主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)への発展の一里塚とも言える。
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